7.Kというユニークな出版社のこと

平成七年三月。私は須山さんに連れられて初めて出版社を訪れました。
マヤンオラクルを出してくれるという京浜東北線の大森駅の近くにある出版社をどきどきしながら訪ねたのでした。
出版社は大森の駅から歩いて5分の閑静な住宅街にありました。
マンションの二階がオフイスでした。
かなり豪華なマンションです。
出版社という感じがしないところでした。
社長は男性にしては小柄でひげがありました。

私は須山さんの後ろでいつになく緊張していました。それでも翻訳者らしく見えないといけません。
今から思うとこっけいですがとにかくそれらしく振る舞っていたのです。
その会見が不思議にもその出版社で二年四ヵ月の間営業として働く糸口になりました。

そのころ私は池袋で、小学校の教材を販売するためのテレホンアポインターの仕事をしていました。これも五十嵐さんの口聞きでした。
新大久保にある大手の塾が熟年のカウンセラーを養成し、家庭に派遣して受験期の青少年の悩みを聞く……そのために、人生経験豊富な熟年の男女を養成するセミナーを五十嵐さんが指導したのです。

そのセミナーの主催者がかかわる教材会社に五十嵐さんが推薦してくれました。
そこの仕事は電話をかけて教材のすばらしさを説明し契約してもらいます。電話をずらりと並んでかけるのですが、ディズニーでの経験があったので割とスムーズに行きました。

さて出版社訪問の数日後のある日、社長から電話が入りました。出版社訪問以後時々電話が入って、よかったら内で働かないかと言われていたのでした。「とにかくうちで営業として働きなさいよ。6月1日だ。その日からお出で」と社長は言うなり電話をきってしまいました。
私はそこで働くことに決めました。

?才の書店営業兼セミナーの世話係が誕生しました。
会社には6月1日から出社しました。
どこの骨とも知らない中年の女性を雇ってしまった社長は、明らかに皆の白い目線にさらされているようでした。
私もどうやら(変な人を社長が連れてきた)という感じで見られているように思いました。

さて、ひげの社長は「このマンションに月々42万円、家賃として支払っている。これを君が稼ぎ出してくれたまえ。これからは出版と著者のセミナーをして何とか利益をあげてゆかなくてはならない。とにかく、今出版業界は大変だよ。書店営業とこの広間のセミナーをしっかりやってくれたまえ。
42万円を稼ぎ出すには日割りでいくら稼げばいいのかわかるかね。細かいようだけどしっかりその辺の数字を把握して頑張ってもらわないとね。それに君には前任者のやっていたショップの世話もゆくゆくやってもらう」
入社してまもなく私は社長室に呼ばれてそう言われました。
泣きそうになりました。「とにかく家賃。家賃が42万円かかるんだ。大変なんだ。頑張ってくれたまえ。」と言いました。

そのころからセミナーが始まりました。毎週3日間は夜11時位まで仕事をしました。残業してもお給料は変わりません。家に帰ると「マヤンオラクル」と向かい合い、夜中の二時までは翻訳をしました。会社が始まるのが10時だったので本当に助かりました。

社長の奥さんはひな子さんというかわいい人でした。
彼女は働き者でじつに自然体の人でした。
会社に入った当初はいろいろ憶えることばかり大変でした。
スタッフは全部で7人。「さりちゃん」と呼ぶかわいい島井さん、きれいで個性的な片山さん、男性は小坂さん、角田さん、加えて社長の奥さん、そして私の7人です。社長夫人をみんなが「奥様」と呼んでいました。

出版社での仕事の大半は、電話を受けて本やグッズの注文を受けることでした。
G県育ちの私は、G県言葉がでないように注意して話しました。
もう、翻訳者のふりなんかしていられませんでした。
電話を受けるときは緊張して声がうわずりました。
会社に勤めた経験は30年以上前のこと。東京で仕事をすること、とくに電話の受け答えは、田舎育ちの私にとってはちょっとした恐怖でした。色々失敗して笑われました。

そうそう、3回ほど大恥をかきました。
あるとき、社長に電話が入りました。
私は社長室に行ったのですが社長の姿が見えません。
仕方がないので「今、社長は小用で出かけています。恐れ入りますが後ほどおかけ直しになってくださいませ。」と言ったのです。
そこへ社長がトイレから出てきました。
明らかに笑いをこらえています。
「宮下さん。小用って知ってる?ダメだよ。小用ってのはおしっこのことなんだ。電話の人笑わなかったかい? そりゃ、僕、今、たしかに小用に行ってはいたけどね。」。
私は小用という言葉がおしっこのことだということをそのとき初めて知りました。大した用事でなく出かけているときには「小用」と言うものだと思い込んでいたのです。

書籍の流通は独特の方法でなされます。
日販、東販が一番有名ですが、大阪屋、くりた、日新堂、中央社、協和、日教販などの取り次ぎ店を経由して本が流通します。
これは出版社に入るとすぐに憶えなくてはならない大切な基本です。

あるとき、「もしもし、こちらは荒川区の図書館ですが、『スターチャイルドの誕生』という本をおさかやさん経由で注文できますか」という奇妙な電話が入ってきたのです。
「はあっ、あのう、あの、おさかやさんですか。」「はい」「あのお、あのお」私は電話の向こうの女性は頭がおかしいのかと一瞬思ったのでした。図書館からの電話なのになんでお酒屋さんに本を注文するの?
私は受話器をもったまま首をかしげていました。
そこへ片山先輩が猛ダッシュ。いきなり私の受話器を取り上げました。彼女は猛烈に笑いをこらえています。

「はい、すみません。電話を替わりました。大阪屋さんにご注文ですね。こちらで大丈夫でございます。ご住所お願いします」と答えました。やっと状況が飲み込めました。おおさかやさんをオサカヤさん……と聞いたんです。それにしてもほんとにバカな私でした。
片山さんから教わっていたのに、取り次ぎの大阪屋さんのことをすっかり忘れていたのです。それどころか、(図書館の人なのにお酒屋さんに本を注文したいんだって……なんておばかさん)と思っていたのですから。

この話は後日、みんなに知られることになり、みんなの顔が妙に笑っていました。
K出版を辞めて次に働いた出版社が、口座申請に大阪屋さんに行ったときに私も同行し、面接みたいに社長と並んで担当の人に新刊の本を渡すとき、緊張するとよくしゃべる私は、そのことを思い出し、担当の人に「有名な大阪屋さんにやっと来れました。」と言いながら一部始終を話してしまいました。
その人は名刺を手渡しながら大笑い。
きっとこのおしゃべりのせいで口座はダメになってしまったのかもしれません。

さて、もうひとつの大恥物語です。
私の働いた会社は、かの有名な大川隆法氏の本を出版していました。
その後、大川氏が自社で出版をするようになるといきなり仕事を切られてしまったといういきさつがある会社でした。
あるとき、品のよいお話ぶりの女性から電話が入りました。本の注文です。「お名前とご住所を伺わせていただきますが。」と私もとびきり上品な声で尋ねました。
電話の向こうで「はい、オオカワキヨコと申します。」と言うではありませんか。私は椅子から転げ落ちそうにびっくり。
「は、は、は、はい、大川様。あのう大川夫人でいらっしゃいますか。大川恭子さまで。すぐに社長をお呼びしますが」もう、心臓どきどきでした。

フライデー事件の渦中の人の令夫人が直接会社に電話をかけてきて社長と話をする……なんとすごいこと。私のミーハー精神はこのすばらしい出会いに大興奮。心臓が今にも飛び出そうになってしまい、一言一言を聞き逃すまいと耳に神経を集中したのです。
「あら、、違いますわ。オホホホホ」電話の向こうから笑い声。「大川きよ子ですのよ。ときどきこちらで本をいただいています。大川さんの奥さんではありませんわ」
その大川きよ子さんは画家で、空の絵を素敵に描く人です。
彼女と私とはそれが縁で仲良くなり、2000年の春、いっしょにメキシコ旅行に出かけます。

ペニーの予言は本当に当たりました。
私は一冊の翻訳本にであったばかりか、文字どうり売るほど本がある出版社に勤めたのでした。
その会社に勤めた2年4ヵ月はとても一口には言えないほどの出会いと人生の奥に潜んでいた問題を明らかにするためもすばらしい年月でした。

会社のお昼は大広間でみんな一緒に食べました。
お茶を出す当番が順番に替わります。
社内は禁煙でした。タバコを吸う人は、マンションの台所で立って吸っていました。
私は四国にいたころ勤めていた塾の先生方のほとんど喫煙するのでとうとう吸い始め、5年間どっぷりとスモーカーをやりましたが、当時6年性の娘の一言「お母さんは灰皿のような匂いがする」で、きっぱりたばこをやめました。会社のオフィスが禁煙であったことは素敵だと思いました。

朝の掃除も当番制でした。
月曜日にはミーティングが開かれて予定と目標を発表します。
これは電話よりも何よりも私には怖いことでした。
先輩たちの前で何かを言うプレッシャーは、ブルーマンデー症候群として私にのしかかってきて日曜日は後半の時間からもう楽しくなかったくらいです。自分の発言が終わるとほっとしました。
「マンションの家賃、稼ぎ出しているかい。宮下君」といつ言われるかとどきどきしていたのです。

セミナーのお客様が夕方からぼつぼつみえます。
玄関で迎えて広間に案内します。
講師の先生が到着するとお茶を出したり、挨拶したりするのですが、一生懸命の私を見てはげましの声をかけてくれる人もできました。
その頃のお客様が、今では本当に友人としてつき合ってくださっているのです。ありがたいことです。

会社は家族的でした。ある意味で団結していたとも思います。
社長はとてもユニークな人で、天使だったり、魔人だったり、あるときは神様みたいだったり、ものすごくおもしろいコメディアンだったり、嫌なおじさん、探偵みたいな人だったりしました。
日によってほんとうに違いました。それでも直観力と集中力は並外れた人でした。おまけに人を引き付ける魔力に近い魅力がありました。

その個性はだれにも真似ができない彼の資質でした。
社長という立場にありながら弱みを全部さらけ出してしまう子どものような素直さもありました。
だから、人気がありました。ひっきりなしにいろんな人が訪ねてきました。 オフィスの書籍棚には在庫の神道系の代表作「ひふみ神示」が紫色に金文字のカバーを付けて一番上段にあり、大内教授の訳本もたくさん積んでありました。
「アセンション」という本もありました。その本は名古屋の友人にすすめられて読んだことがありました。

「プレアディスかく語りき」はそのころもすごくヒットしていました。私が入社したときは「第4の進化」という本が出来上がるところでした。
初めてのことで本当にわくわくしました。
第一校目ができると順番に校正をかねて社員が読みます。
その後、みんなで本の題を考えます。
次は表紙です。サンプルはたいてい3枚位用意されます。
投票したり話し合ったりして本の表紙と題名が決まります。そんなときはどの人もたのしそうでした。

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