9.セミナーへの参加

「最初に出会った男性によって女性の一生は大きく左右される」そうです。実に私がよいモデルです。私が最初にであった男性である父は、くちぐせのように「口答えするな」と言っていました。
母も子どもたちも父には反論も許されませんでした。

父に対する潜在的な恐怖があったことを思い出したのは、47才のときに受けたセミナーの会場で90人の人たちの前の壇上でのことでした。
記憶のなかに閉じ込めてしまっていた恐怖が浮かび上がったのです。鮮明な画像とともに、そのときの気持ちも実にはっきりと思い出したのでした。

どうゆうわけかセミナーのリーダーが「響さん、前にいらっしゃい」と言いました。
私は椅子にすわって目を閉じるように言われました。
リーダーのなみさんは日系のアメリカ人です。ハワイ大学付属病院で内科部長をしていたのですが、あるとき、いつも陰気で嫌な奴と思っていた産婦人科のボブがさわやかな顔をしてエレベーターの前で立っていたそうです。

何だか何時もの彼と違ってすばらしい笑顔で、なみさんに「元気ですか」と挨拶したそうです。(ああ、わかった。ボブは離婚が成立したんだ。)と、なみさんは思ったそうです。「いいことあったの」となみさんが聞くと、ニューヨークであるセミナーをうけて人生が変わったんだ」と言ったそうです。そのあと、なみさんは医者をやめてしまいます。

私はそのセミナーの椅子にすわって父のことを思い出しました。
「2歳のとき、お父さんと何がありましたか」というリーダーの質問にはっきりと思い出したことがあったのです。
2歳の私は父にむかって「バーカ」と言ってしまったのです。
実際は近所の子供たちに教わったばかりのこの言葉、使ってはいけないこの言葉ばを父に向かって発して試したかったのでした。

父は「お前をそんな言葉を使うような子供に育てた覚えはない」と言うなり私の手を縛って、押し入れの上段にほうり込んでしまいました。真っ暗な押し入れの中で私は怖くて泣き叫びました。
セミナーでペアを組むと相手の人が必ず「響さんは悲しそう、愛に飢えている目つきをしている」と言いました。
どうしてだろうか。そういえば中学のとき、「へんな目付きをする」とある男子に言われたことがあったのです。男性が怖かったのです。とにかく、兄も弟ももちろん、父のことも好きではありませんでした。
教師も女性のほうが好きでした。

このセミナーのおかげで男性に対する深い偏見が癒されました。
そのセミナーの壇上で、もうすでに亡くなっていた父に意識を発信して自分で自分を癒したのです。
私はずっと男の人を怖がっていたこと、恐ろしく思っていたことなどその時に、はっきりと認識できたのでした。
「なあんだ、男の人も一緒か」ということが、お腹の底から納得できたように思えました。楽になりました。それまでの私はとにかく男性のまえでは違った自分を演じていましたし、男性の友人がありませんでした。

その頃から、私の内的革命がどんどん表面化してゆくのです。
47年間のあいだ、分からなかった私の男性恐怖症の大半がやっと崩壊しました。そして人間はおもしろい生き物だと実感するようになったのでした。
このセミナーを教えてくれたのは、アナポリスに住むヘザーという友達でした。1ヵ月ほど四国に来ていた人で姉妹のように仲良くなりました。

私は彼女に心の秘密を全部話したことがありました。ヘザーなら外国にもっていってくれる、秘密が漏れることはないと思ったから安心して私の悩みを聞いてもらったのでした。
ある夜中、3時、国際電話が入りました。「いいセミナーがあるから東京で受けなさい。きっと楽になるから」と言うのです。
次の日そのセミナーのオフィスに電話をかけました。そしてセミナーに出た松山の女性に電話をかけて上京することを決意しました。

次は、「10.新しい人生」