7.長男の病気

「泣き面に蜂」これも事実でした。
いつも苦しんで人生を呪っていた私はあるときひどい目に合いました。
苦しいときほど私は元気をよそおい明るく振る舞う癖がありました。

四国に転勤して二年目、突然髪の毛がばさりと抜けました。頭頂部の髪がブラシに異常なほどくっついて抜けるのです。びっくりして病院に行くとストレスによるものだと言います。
夫は、「ああ、それ、番州はげや。うちの会社では転勤した人がよくなるんや」と言いました。これこそ泣き面に蜂……泣いてばかりいた私にもっと泣きたいことが起こってしまいました。

その年、長男は小学校に入学しました。ある晩、二段ベッドの上に眠っているはずの長男を珍しく夫が覗いたのです。
「おい、T君、おい」夫の異常な声。私はすぐにベッドの手すりをかけのぼりました。見ると顔の色がありません。
夫はすぐに長男を床に下ろしました。「救急車、救急車」と言いながら私は無我夢中で長男の口に息を吹きこみました。ほんのしばらくすると彼は苦しそうにうめいて夕飯に食べたカレーを吐きだしました。熱もありません。死んだような顔色をしていました。

救急車がきたころには少し元気を取り戻しました。
掛かり付けの小児科に車がついたときには、ほとんどいつもの状態に戻っていたのです。「熱がないのが怖いなあ。熱がある場合のけいれんなら分かるけどな」と医師が言いました。
「とにかく、明日これをもって回生病院に行きなさい。精密検査をしたほうがいい」

次の日、長男は回生病院の脳外科で検査を受けました。もう、岐阜に帰りたいだのと言う人生への不満どころではなくなってしまいました。
小児科の先生の首のかしげ方を思い出して祈るように医師の診断結果を待っていました。「脳波を見たのですが……ちょっと困りました。この脳波の状態は……」「は?」「お母さん、この脳波はテンカンもしくは脳腫瘍を疑わねばなりません……多分、息子さんは今年の秋くらいから頭痛と吐き気がひどくなり、来年の春……」私は目の前が真っ暗でした。
一人で廊下のソファにすわって待っている長男を連れてどうやってアパートに戻ったのか覚えがありません。

次の日、修養団体の先輩に電話をかけてどうしたらいいかを尋ねました。高松の先生を一度訪ねてみなさいということでした。
私は次の朝、四時に夫や子どもたちを起こしてその先生を訪ね、一人で先生に会いました。
「お母さん、どうします。病気を認めて、その子を病気にするかな。それとも、その子が元気でいることを、つまり健全な子どもだと思い続けるか……どっちにする? 思うことは現実を創る力がある……心で思うことは実現してゆく……よいように思えばそうなるし反対に悪いことを思うとその通りになる。この子は神様から命をもらっている完全な命をもらった子だ。病気だ病気だと思えばそうなって行く。どうする?、お母さん」。

次の日から私のイメージ作戦が始まった。それまでの思考形態を一気に変えてしまったのです。
子どもが発作を起こしたのは五月でした。それから私は毎瞬毎瞬あるイメージを頭の中に描きました。診断の結果を聞いている場面です。
「お母さん、不思議ですね、これが前回の時の脳波です。
こちらが今回です。見てください。乱れがありません。よかったですね」と医師がうれしそうに私を見ます。私は長男といっしょにレントゲン写真と脳波のグラフを見ながら喜びを噛みしめる……。私は来る日も来る日も暇さえあればこの場面を描きました。
そして、その修養団体のお祈りの言葉を毎日毎日ノートに書きました。暇さえあればやっていました。

当時はまだCTスキャンがありませんでした。
検査のために入院するのですが、8月のお盆すぎしかベッドが空きません。それまでは薬を飲むように指示されて祈るような気持ちで嫌がる長男をなだめなだめて薬を飲ませていました。
ある日のこと、学校から電話がかかりました。受け持ちの山田先生でした。「お宅ではいつも何時まで子どもを起こしているんですか。T君授業中居眠りばかりしています」。私は彼の病気のこと、発作のことは一切誰にも話していませんでした。夫にも。

自分が彼の病気を認めなくても、誰かにそのことを話したら、その人は彼の病気を認めてしまう……私はそう思いました。
当然、学校の受け持ちの先生にも話さないままでした。「すみません、気をつけます」と謝りました。それからすこし薬の分量を控えました。
相変わらず毎日祈りの文章を書きイメージも忘れずしました。三日坊主だった私にしては本当によくやりました。
3ヵ月毎日毎日イメージと祈りの文章を書いていました。

8月19日、入院しました。
喉の下に小さな穴を空けて造影剤を脳に注入する検査を受けました。注射が大嫌いな長男は泣き叫びました。一週間の検査が終わって退院しました。
9月3日に検査の結果を聞きに行きました。
「お母さん、不思議ですね。これが前回のグラフです。今日のはこれ。脳腫瘍ではありません。よかったね」すべてがイメージどうりでした。先生のすわる位置、私と長男が立っている順序、脳波のグラフ……すべてがいっしょでした。

ただ1つ違ったことがありました。
「宮下さん、脳腫瘍でなかったのですが、テンカンの脳波が出ています。
薬を飲んでもらうことになります。一生薬を飲むことになると思います」医師がそう言いました。
再び、私のイメージ作戦が始まりました。「薬はいらない、薬はいらない」というお念仏がその日から始まりました。
毎月1回検診がありました。脳波をとるのです。私はもう慣れたもの……薬はいらない……をくり返していました。次男はそのころ、4才、長女が生まれたばかりのころでした。
12月の検診は19日でした。とうとう医師は「そうですね、もう薬も飲まなくていいです。脳波は正常です。何か変わったことでもあれば病院にいらっしゃい」

次は、「8.名古屋への転勤」