6.次の仕事…英語スクール

本、本が来た。いよいよ翻訳者になれる。
まるで夢のようでした。
この本がどんな本なのか私にはまったく分かっていませんでした。
ろくにマヤのことも知らないまままに「盲蛇をおじず」のたとえのように、
(翻訳者になれる、本だ。本ができるんだ。)なんてうきうきしていました。

ところが、初めからとてつもなく不思議な言葉が並んでいました。
自分の体験の範囲でない言葉が並んでいました。
地球に志願して銀河の果てからやってきた生命体……などと書いてありました。
「な、何。この本はいったい何て本なの?」私は真っ青になりました。
たしかに英語の字面は訳せます。でも意味がさっぱり分かりません。さっぱりです。

次の日、私は出版社に電話をかけました。社長に取り次いでもらいました。
「須山さんのご紹介で「マヤンオラクル」という本を翻訳をさせていただくことになりました宮下京です。
御社の出版物の中から何か翻訳に参考になる本をお教えくださいますでしょうか」
力もないのに翻訳をするという大それた陰謀を隠して、翻訳をやる人のように振る舞うことは実に難しく大変なことでした。

人を騙しているようでどきどきしました。
「『プレアデスかく語りき』という本があるので、それを読んでみて」という答えをもらいました。(出版社の社長さんというのは、意外に気さくな話し方をするもんんだ)と感心しました。
さて、さっそく池袋のリブレに行き本を求めました。

バスに乗って本を開いてびっくり。訳者、大内博と書かれていたのです。
また、「な、何に」でした。
大内博さんはまさに四国でしていたボランティア活動のリーダー格の人でした。
セミナーの終了日に、美しいアメリカ人女性が泣くように訴えた運動でした。
それは、世界中の慢性的な飢餓を2000年までに一掃するという、想像すらできない話でした。

セミナー終了という気持ちの高ぶりも手伝って、私は50枚の署名用のカードを四国に持ち帰ったのでした。
19**年のことでした。
それから坂出を中心に署名と寄付集めをしました。
知っている人に頼むのはもちろん、街頭で署名運動をしたりしました。
(何て不思議なんだ。人生ってほんとに不思議)、私は大内先生が玉川大学の教授であること、ジャネットさんが奥さんであることは知っていました。
ところがK出版の本の訳者であることをその時初めて知ったのでした。

そんなある日、同僚の細川さんが5年間の営業生活に見切りをつける……と私に打ち明けました。
「もう、情熱がなくなったの。この仕事がストレスになってしまって、どうしても自分に対する無価値観がのしかかってくるし……疲れてしまった。
宮ちゃんがメンバーとしてグループに来てくれて会えたことは、本当によかったけど、正直言ってどうしてこんな時期にあなたが仕事をするのか、ちょっと信じられなかった。 もちろんあなたがメンバーになるとマネジャーにはお金が入るし、あなたが契約をとればその何パーセントかがマネジャーに行くんだけどね」そのことは知っていました。

英語教材も以前よりは競争が激しくなっていて、前ほどは売れなくなっていました。
細川さんは「リーダーは私たちが行き詰まっていてもサポートしてくれない。あくまでも数字がでなければ、私たち兵隊は撤退する以外に道がない。どんどん借金がかさんで行くだけでしょ?もう疲れてしまった」と言いました。私もこれ以上、無駄なことはできないと思いました。

会社は成績のよいセイールスにはよいカードを送ります。
つまり住所を見て行きやすい、しかも可能性のあるところを優先的に回します。
成績がダウンして行けば行くほどカードの質も落とされて行くのです。
こんな状態を続ければ本当に生活も大変になって行きます。
何もしなくても一枚4000円のアドレスカードは、少なくとも6枚は毎週火曜日、機械的に送られてきます。
月末には恐ろしい金額の請求。
仕事の成果で相殺できれば簡単でしょうが、仕事の予約がとれなければこれは問題以外の何物でもありません。

怖くなった私は何とかして他の仕事を捜して生きて行こうと思いました。
いざとなればどんな仕事でもしようと思いました。ビルの清掃でもいいし、スーパーの裏方でもよい。S市ではうどん売りのバイトも体験済みでした。サンゴの販売も手伝ったことがありました。私は張り紙に目をとめ、情報紙を捜しました。翻訳はどんなことがあっても続けるつもりでした。

私は五十嵐さんに再び相談を持ちかけました。五十嵐さんは「ま、流れなんでしょう。いいじゃない。ちょうどよかった。池袋にある英会話学校が今度、新宿に分校をだすので営業を欲しがってる、行ってみる?」と言うのです。
私は二つ返事で面接を受けました。
学院長と会ったとき少し違和感を感じたのですが、見学した池袋校がとてもよい感じだったので新宿校で働くことを決意しました。

数日たつと返事がきました。
生徒に学院の独特の教育システムを説明するのが仕事です。
そして、それ以外は日本人の教師として発音を生徒に教えることになりました。
まるで綱渡りのようでした。
送別会のときには既に次の仕事が決まっていたので、「なんてラッキーなんだろう」と神様の大いなるサポートを感謝しました。

細川さんと私が辞めるというので池袋で送別会が行われました。
その翌日、新宿分校の開校パーティがありました。
新宿東口の「柿安」の向かいのビルには、生徒用のブースが八つと自習用のブースがいくつもあって、今までに見たこともないようなおしゃれな英会話スクールでした。

学院長は独自の英語習得プログラムを編み出していました。
外資系のビジネスにもすぐに役立つ英語を使えるようになるための、確実なノウハウを授業に取り入れ、理論的にもしっかりした教育法で英語を教えていました。
ここに入るとまず700個の単語を絵単語カードで覚えます。
レベルの高低にかかわらず、どの人もこの単語からスタートします。
そのあとはこの単語が中心になって、口頭で文章がすらすらでてくるように学習が始まるのです。

学院長独特の英語習得法は本当に理にかなったものでした。
すばらしいと思いまいした。
仕事は楽しかったのですが、3ヵ月目になる頃私にはどうしても無理だと悟りました。私の営業トークが能率的ではない、一字一句マニュアルどうりにしなさい……と、ある時学院長が言いました。
何分以内にここまでしゃべって、それからあと何分でクローズすること、それができなきゃうちでは要らない」と。

3ヵ月目の研修が終わったときでした。
私はどうしてもトークをそのペースでできなくて悩んだ挙句「先生のおっしゃるようにはどうしてもできません」と言って退職してしまいました。

新宿校がスタートした頃、娘と私は一緒に暮らすことに決めました。
別々のアパートに住んでいること、しかもそのアパートは駅から離れている、さらに西武線の「開かずの踏切」を越えなくてはならない……など、不便なことが多かったのでした。幸い娘が大学に通っている間は夫の収入を管理することになっていました。

アパートを変わろうと思ったもう一つの理由は、娘のアパートの鍵が壊されてしまったことでした。
ある日、娘が帰ってくるとキイが差し込めません。
松葉のような細いものが穴を埋めていました。
仕方がないので鍵110番に電話をして来てもらいました。
そのころ娘は「アパートのまわりに変な人がよくうろうろしている」とよく言っていたのでした。

とうとう私たちはアパートを捜すことにしました。
中野駅前の不動産屋のウインドで娘がいい物件を見つけました。
さっそく出かけて行きました。
日当たりのよい4階で角部屋でした。
不動産屋に鍵を返しに行くと偶然持ち主が来ていました。

娘と私を見るなり「お貸しします」とあっさりと承諾してくれました。
彼女はサンプラザ中野の横の高層マンションに移ったばかり。
その部屋に入っていた男性が1ヵ月前にでたばかりとのことでした。
書類がまだそろっていないのに、不動産屋のおばさんは内緒で鍵を早々と貸してくれたので、毎日何かを運んで準備をしました。

引っ越しは娘の友人たちが手伝ってくれました。
引っ越しの荷物をタクシーで運ぼうとして、ほんの数分間アパートの前に出していたとき、買ったばかりのワープロが無くなっていました。

やっと落ち着いたころ、うちにもう一人の同居人がやってきました。
マウイから「マヤンオラクル」をもって帰った須山さんが、一緒に生活するようになったのです。
彼女はまったく私の知らないスピリチュアルな分野の人でした。
彼女は原作者のアリエールから、マヤンオラクルのセッションを受けたことがありました。
彼女の話からマヤの不思議な本の謎が少しづつ私を引き込んで行き、やっと翻訳も一行一行進んで行くようになったのでした。
彼女の友人、松山聖子さんと知り合ったのもこの頃でした。
彼女はデザイナーでとてもセンスのいい人でした。

マヤのカレンダーのついた手帳を日本で初めて作った人です。
「マヤンオラクル」の原書には、誕生日でその人のアーキタイプを引くようなシステムはなかったのですが、占いとしても面白いから誕生日から割り出せるようにしよう……と編集の平木さんと話し合って決めたのです。いざとなるとこれはまた大変な仕事でした。カレンダーがよく分かっている聖子ちゃんの助けが必要でした。
マヤンオラクルの第一校が仕上がるとファックスで九州の実家に帰っていた彼女に助けてもらいました。

私にとってマヤは神秘の世界でした。
地球と言うものが乗り物であり、生きている、しかもそこの上の私たちは銀河の果てから使命をもって地上に誕生した……ということがベースになった不思議な本でした。
毎日少しづつしか訳せませんでした。
手書きで便箋に書き取り、分からないことは近くの図書館で調べてくるのですが、とても難解な内容でした。

次は、「7.Kというユニークな出版社」