3.東京での仕事──続き

私たちのチームは「グーフィー」でした。
ディズニーのキャラクターでチームの名前をつけてありました。
千葉のYさんを中心に11人のメンバーがいました。
私はもちろん最年長です。

英語を教えていたことがあったにせよ初めて英語の教材、しかも50万円に近いものを売る仕事に乗り出したのです。
私をメンバーに誘ったのは山下さんでした。
マネジャーであるYさんも大いに期待をかけていました。「あなたは人当たりがいいから絶対うまく行く」と励ましてくれました。さあ、研修が始まりました。

「宮下さん、私がお客になります。あなたがピンポンとドアチャイムを鳴らして入ってくるところからこの仕事が始まります。
大切なのは売ることでなく情報を提供することです。
お客さまとの人間関係ができないとまず無理です。とにかく、あせらずに話を聞いて上げながらこの教材のよさを説明してください。
僕が営業の場面を由美さんとやってみます。見ていてください」彼はチームでは抜群の成績を上げていた人でした。
コンペでは全国の十位のポジションを前後するような位置にいて、何となく人柄の優しさが伝わるようなまなざしの男性です。

西武線下石神井の駅から歩いて十分の彼のアパートに毎日通いました。
営業に使う小さなポータブルCDプレイヤー、本4冊、CD4枚、資料のファイル2冊をカバンにまとめてキャリーで引っ張って行きました。
そこで由美さんと彼のやりとりから営業のノウハウを学びました。
週に一回は彼のチーム全員が集まって勉強会をしました。
N市では対等の友達だったはずの由美さんはYさんより怖い指導者でした。彼女はYさんの内縁の妻でもあり、有能な秘書でもありました。
ロールプレイでは名古屋のころの彼女とはうってかわって、時にはいじわるとも思えるほどの質問を私に浴びせかけました。

「そうですね。買いたいのだけど、主人がどういうか聞いてみないと……それに私は月賦が嫌いなんですよ。何かいい方法がありますか。」
「一括で購入されるのがお得ですが、月賦がお嫌いなら何度かに分けて購入なさってはいかがでしょうか」
「じゃ、要らないわ」そうなると新米の私はもう言葉が出ません。ただでさえ緊張しているのです。泣き出したいこともありました。
主婦が片手間にしていた塾の先生から一気にセールスになった私には、この仕事は大冒険でした。

知らない人を訪問して、教材について説明したあと、それを購入してもらわなくてはなりません。
とにかく、どれほど苦しくても娘が卒業するまでは頑張ってこの仕事をしようと決心しました。
何しろ家族の大反対を押し切って出てきた手前、どうしても失敗は許されない、「ほら、私でもできたでしょう」と言わなくてはなりません。

Yさんについて仕事ぶりを見せてもらったこともありました。
その家は恵比寿の駅から歩いて10分の便利なアパートの五階。
双子の赤ちゃんがいました。
若いお母さんが起きたばかりで、むずかる女の赤ちゃんを抱いて出てきました。もう一人は眠ったところだと言いました。
Yさんはお母さんにまず「赤ちゃんお二人大変ですけどかわいいでしょ」と言いました。

それから荷物を脇において「赤ちゃんがまだベビーベッドの時代に耳にインンプットしておくのが一番楽な習得法なんです。
とにかく聞かせてあげるといいのです。
ある日、『うちにはこんなものがあった』と意識して興味を持って自分で使うようになるのがこの教材です」というような意味のことを楽しそうに話しました。まったく流れるようでした。

若いママとその母親らしい人も引き込まれて聞いていました。「高いものなのでうちではしっかり検討して考えてゆくつもりです」という若いお母さん。そのうち、もう一人の赤ちゃんが奥で泣き始めたので、私たちはアパートを出ました。

研修が済むといよいよカードが送られてきて、訪問予約を取るために電話をかけます。
その電話しだいで相手の反応が変わることもあります。
慎重に言葉を選ばねばなりません。「お葉書ありがとうございます。教材をお持ちして、お母様の目で見ていただき、実際に使っていただきたいのです」「ご都合がよろしいのは何時でしょうか」といって電話をかけます。
「いいです。じゃあ、明日の十時に」という若いお母さんの声。

わくわくしながら次の朝電車に乗って目的地に向かうのですが、なかなか契約までにはゆきません。
「欲しいけど、高いわあ。こんなにするんじゃあ、うちでは無理です。」といって断られてしまいます。
ベテランの営業はこれからが勝負です。とにかく今、これを契約して買わないと損をする……と思い込ませてしまう……と言います。

何度も断られました。
がっかりして帰宅するのですが、東京で仕事ができるという喜びがありました。
若いころから、そう中学の頃からあこがれていた日本の首都東京でした。
希望に燃えていましたので、少々のことは平気でした。
かつて勉強したこと、N市の英会話スクールで学んだことやそれまでに培った教育法が支えでした。

言語習得の時期に関する限り、一定の法則があり、耳の柔軟な幼いうちから音楽のように英語を聞き慣れていれば、言語習得は意外に簡単であることを知っていました。
本当に耳を貸してくれるお客は真剣に購入を考えてくれました。

耳がことばの微妙な音を聞き分ける能力の限界が、男性は声変わり、女性は生理の始まりの時期まで……と学問的には立証されています。
それより年齢が進むと時間がかかるのです。
15か国語まではインプットできる能力があるそうです。
時期を逸すると女性も男性も、1000時間のインプットが必要です。

音に関する聞き取りが不自由な人は(音痴と呼ばれる人)2000時間かかります。
さらに教えてくれる人の発音をそのまま刷り込んでしまいますので、発音の正しい人に教わることは言うまでもありません。
子供のころは舌もやわらかく言語を真似してそれをすぐに再現できますが大人になるそれが難しくなります。
一生懸命真似をしても違う音を発音してしまいます。

たとえば、SILENTという音の最後の〔t〕は無声音ですが、舌は上あごにくっついて微かな振動音を出しているのです。聞こえないだけです。
だからといってこれを無視した発音は英語圏の人々の耳にはまったく違う言葉として受け取られます。日本人の話す英語に慣れていればよいのですが、初めての人は理解できません。

この微妙な振動が聞ける年齢には限界があるのです。
その時期を逃せば発音に関しては本当の音を習得することは難しいのです。日本語でいえば、いくら標準語を話していても基本のアクセントや微妙な音のリズムやピッチがその人が女性なら生理になる前に住んでいたところの言葉でしかないのと同じ原理です。
住んでいた場所の方言が定着して、標準語をあとになって話そうとしてもお国言葉がベースになった標準語しか話せないことになります。

だから、面白いことに同じ地方出身者の言葉はすぐに聞き分けられます。
仕事が始まると、英語の講師としての立場でお母さんたちに適切なアドバイスができました。
「独立」「かせぐ」という二つの言葉にも励まされたのですが、何よりも英語という言語がすばらしく世界を広げてくれること、英語のもつエネルギーがどれほどコミニュケーションに役立つかを自分の体験から伝えました。

仕事に出るときは方向感覚がにぶい私は必死でした。
東京では、電車に乗るのさえN市の比ではありません。
人に聞きながらお客さんの家にたどり着きます。ときどき時間に遅れそうになりました。場所が分かりません。
住宅地では公衆電話もありません。何度も泣きたいことがありました。あのころ携帯電話があったらずいぶん助かったことでしょうね。
かなり余裕をもって家を出ました。

たいていは、お母さんと赤ちゃんが一緒に私の話を聞きます。
子どもが一緒だとデモ用の本やCDをさわったり、しゃぶったり、それは大変です。お母さんの注意力もそがれてしまいます。
突然お母さんが違った人になって子どもを叱りつけたりします。
私は1月から11月までの間にほぼ100軒近くのお宅を訪問しました。

小学校5年のころ、友達のお父さんに英語の歌を教えてもらいました。
高校生になって完了形を習ったとき、やっとその歌の意味が分かりました。「かわいい子猫、どこに行っていたの。ロンドンだよ、クイーンに会いに行ってたんだ。」私はあるときこの話を思い出し、セールストークにアレンジしました。

神奈川地区のほうが成績はよかったために、中野から週三回くらい神奈川のお客を訪問しました。
一週間に4件の契約が取れたこともありました。
忙しくても生きがいのある仕事だと思うようになりました。
真夏の炎天下をキャリーを引いて電車を乗り継ぎ、2時間ほどかけて赤ちゃんとお母さんが待っている団地にやっと着くのですが、玄関のドアに張り紙がしてあります。
「急に用事ができたので今日はお会いできません」(そんな馬鹿な。だって今朝、いいです、十時にいらしてください……って言ったでしょう)こんなことはめったにないのですが二度ほど起こりました。

中央線の先の方にある駅にやっとたどり着くと時間が早い。
公園で暇つぶしをして、アパートのドアの前に立ちます。
「ごめんください」といっても中々出てきてくれません。
とにかく、ドアのメーターは回っています。
チャイムのボタンをあまり何度も押すと失礼なので、控えるのですが、いっこうに返事がありません。

仕方がないので、いったんどこかで電話をしようとしたときドアのすぐ向こうで人の気配。
(よかった)とほっとして「ごめんください。ディズニー英語教材からまいりました」と言います。
ところがドアは開きません。「あのう、今日、ご予約いただいてい……」「あの、もういいです。」
「えっ」「あのう、うちでは要らないので。」とくぐもった男性の声が聞こえます。
「お話だけでも聞いてほしいのですが」「だから要らないから、お話も要りません」それで終わりでした。

ほんとに「そんな馬鹿な」と言いたいです。そうでしょ。だって中野の家を出るときに確認の電話を入れているのです。奥さんが「はい、よろしくお願いします」と言ったのです。
がっくりした私はしばらくは、キャリーを引いてとぼとぼ哀れな行進をするのですが、花や子ども、生け垣の側で昼寝する猫、上品なおばあさん、犬と散歩する女性、公園のベンチで本を読む人を見ると慰められ、電車に乗るころには気持ちももどっていました。

「今日、お会いできません」と張り紙があったところは、馬堀海岸という景色のよいところでした。
そのアパートからは海岸が庭のように近く、ちょっと先にはリゾートホテルやゴルフ場がありました。
よくよくご縁がないところでした。二度目に伺ったときは子どもがいませんでした。
お母さんにうまく説明できればいいなと思って張り切っていたら「済みませんが、時間です。今日はこれからでかけます。後日また、子どものいるときいらしてください。」と言うなりその女性は出かける支度をするために立ち上がるのです。

私はバスを待つ間、海の側でいきなり空いた時間を楽しんだりしました。
こんなとき美しい花、子どもたち、海、猫や犬がいたらすぐに元気が回復します。
横浜、葉山、片瀬、馬堀海岸、小田原、横浜……東京都内……ほんとうによく歩きました。

地図が苦手な私は、地図があっても方向がうまくつかめません。
「すみませんが、ここに行くにはどうすればよいのですか」と交番で聞くと「あなた地図もってるでしょ。ここに書いてありますよ」と若いおまわりさんに笑われたりしました。
そうそう、道を聞くときはよく相手を見て尋ねたほうがいいです。一度、おばあさんに尋ねたら、とんでもない方向を教えてくれてとうとう時間に間に合わなくなったことがありました。

最初に契約がとれた八王子のみどりさんとは今もつながっています。
お父さんもおじいちゃんもいっしょに聞いてくださいました。
赤ちゃんがあるとき、「Moon」ときれいな発音で月を指さしたと言って電話をしてくださいました。
彼女とは中野のブロードウエイで落ち合い、あのおもしろい空間を一緒に歩き買い物をしたりしました。

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