自分が分かる本
『モーゼスの霊訓』
この霊訓は、いわゆるスピリチュアリズムの流れが始まったばかりの頃(1873年~1880年)に、英国の牧師だったモーゼズにでたものであり、この霊訓のあとに「ベールの彼方の生活」(1913年~1919年)、「シルバーバーチの霊訓」(1930年頃~1981年)などと続き、現在のスピリチュアリズムの流れになっています。 その意味においても、非常に参考になる本だと思います。
この3つの霊訓は、すべてイギリスで生まれており、イギリスの三大霊訓といわれています。
この頃のイギリスでは、色々な霊媒が活躍していて、各種のホームサークルにおいて交霊会などが盛んに行われていたようです。
なおこの「モーゼスの霊訓」は、モーゼズの腕を使った自動書記と呼ばれる方法で書かれています。
以下に、翻訳者のメッセージを示します。
「モーゼスの霊訓」と呼ばれて日本でも熱烈な愛読者をもつSpirit Teaching は、インペレーターと名乗る紀元前5世紀にこの地球に生を受けていた霊が、英国の牧師だったモーゼズの腕を借りて、キリスト教の間違いを指摘しながら10年間にわたって霊的教訓を綴ったもので、1883年に刊行されてからほぼ1世紀をへた今日でも、なお世界中でロングセラーを続けている、名実ともに人類史上まれにみる高等な霊界通信です。(省略)
古来、「霊界通信」といわれるものは、洋の東西を問わず数多くありますが、自分の腕を使って、自分の信仰と真っ向から対立する思想を綴る目に見えない存在を相手に、熾烈にして壮絶な論争を延々10年にもわたって続けたという例は、世界に、そして人類史上にも類を見ません。(省略)
この本を読んでみると分かりますが、 モーゼズとインペレーター霊とのキリスト教の教説に関する問答集になっています。
モーゼズはキリスト教の牧師ですから、自分の今まで学んできたそして信じてきた考え方があります。 インペレーターは、彼のその考え方の間違えている部分やキリスト教の神学の誤りについても指摘していきます。
自分の考え方の根幹を否定されたものですから、受け入れられないのが当然のことです。しかも、後半では彼のあまりの頑固さに、霊団側がこの計画から撤退宣言をし、彼の既に他界した友人の調停により続けることとなったという生々しい経緯も書かれています。
☆霊的新時代の幕開け
「今まさに、新しい真理の普及のための特別の努力が払われつつあるところです。神の使徒による働きかけです。
それが敵対者の大軍による、かってない抵抗に遭遇しております。世界の歴史はつねに善と悪の闘争の物語でした。
一方に神と善、もう一方に無知と悪徳と邪悪──霊的邪悪、精神的邪悪、そして物的邪悪です。
そこで、時として──今がまさにその時期の一つなのですが──いつもとは異なる努力が払われるときがあります。
神の使徒が一段と勢力を強めて集結し、人間を動かし、霊的知識を広めます。目的達成の時も近づいております。
油断ならないのは真理からの逃亡者であり、生半可物であり、日和見主義者です。そうした人種に惑わされてはなりません。
神の真理のために惑わされることがあってはなりません。(省略)」
上記の表現からも、この時期、1800年代後半から神の計画としての「新しい真理の普及」が始まっていることが分かります。
一方、日本においても、「ひふみ神示」によれば1814年の黒住教から始まり、次に天理教、金光教、大本教、最後に「ひふみ神示」、この一連のお筆先(自動書記)が神の計画として現れています。
☆啓示は時代とともに変わる
「Q:このあとも、地上人類のための計画が、人間の無知と強情ゆえに何度も挫折してきた経緯が述べられた。 そこで私は、この度も失敗に終わりそうなのかと尋ねた。 すると…。
神はそなたの想像以上に働きかけを強めておられる。地上の各地に神の真理普及のための拠点ができ、魂の渇きを潤し、知性を納得させるような真理が、ふんだんに地上に注がれています。
むろん、中には古い教えのみにて足れりとし、新たな真理を受け入れようとしない者もいることでしょう。
我々はそうした人種をかまうつもりはありません。
しかし、古い啓示を十分に学びつくし、さらに深い真理を渇望している者が大勢いるのです。そうした者に、神はそれなりの手段をもって啓示を授けられます。
それが彼らを通じて縁ある人へと波及し、やがて全人類へ向けて公然と啓示を垂れる日も来ることでしょう。(省略)」「Q:その新しい啓示ですが、それは古い啓示と矛盾していませんか。 その点で二の足を踏む者が多いのですが…。
啓示は神から授けられます。神の真理であるという意味において、ある時代の啓示が別の時代の啓示と矛盾するということはあり得ません。
ただし、その真理は、必ず時代の要請と同時代の人間の受入能力に応じたものとなります。一見すると矛盾するかに映じるのは真理そのものではなく、人間の側に原因があります。
人間は単純・素朴では満足せず、何やら複雑なものを混入しては、せっかくの品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りをしてしまいます。
そして時の経過とともに、いつしか当初の神の啓示とは似ても似つかないのになりはてます。矛盾するばかりでなく、もはや不純であり、この世的なものとなりはてます。(省略)」
☆貴重な地上的体験
「与えられた宿命に甘んじ、おのれの成長と同胞の福祉のために精を出し、神を崇め神に奉仕し、背後霊の指導に素直に従う者こそ、地上生活を最大限に活用している人といえましょう。 そうした地上生活を送った者には改めて学び直すものはなく、従って霊界での向上もすみやかです。
魂の向上を妨げるのは、あらゆる種類のうぬぼれと利己心、無精と怠慢、そしてわがままです。 公然たる罪悪と悪徳、それに偏見から真理の受け入れを拒否する頑迷固陋の態度──こうしたものは申すまでもありません。
魂の肥やしは、愛と知識です。 (省略)」
我々凡人は、日常において自分の考え方や行動についてあまり深く考えることなく生活しています。 しかし、ここでは毎日の生活、つまりこの地球上で生きていることには深い意味があり、さらに毎日の生活をどのような過ごすかによって、 その人の魂の向上に影響し、 死後の結果が異なることを明確に示しています。
我々には、選択の自由があります。
自分の魂が向上するような道を選ぶのか、それとも堕落への道を選ぶのか。
本心では、向上の道に進みたいと思いそのつもりでいても、様々な世間の誘惑に負けてとんでもない道、予定と違う道に進んでいるのかもしれないのです。 少しあるいは沢山の反省が必要かも…。
☆進歩に抵抗はつきもの
「ぜひともそなたに理解を望みたいことは、神の啓示といえども、人間にそなわっている「光」つまり理性によって判断しなければならないということです。 説教者の言葉を鵜呑みにすることなく、 それを全体像の中で捉え、 一言一句の言い回しにこだわることなく、 その精神、 その流れを汲み取るよう心がけねばなりません。 われわれ自身、 およびわれわれの教説について判断する際にも、 得体の知れない古い予言に合うのあわぬのといった観点からではなく、 自分が真に求めるもの、 自分と神とのつながり、 そして自分の魂の進化にとって有益であるか否かを基準にして判断しなければなりません。 (省略)」
日本では昔から、 霊媒が神懸かりになった場合、 その現象が本当に神からの啓示なのか、 それとも低級霊の仕業なのかを判断するために「審神者(サニワ)」と呼ばれる役割の人がいます。
色々な霊界通信にもでてきますが、 われわれ地上の人間は、 見えない世界からのメッセージがすべて神または高級霊からの啓示であると思いたがりますが、 実際にはほとんどが低級霊の仕業である場合が多いそうです。
さらに、 霊からのメッセージであろうと、 先生あるいは教祖からの教えであろうとメッセージを判断する時に重要なことは、 盲信するのではなく、 上記にあるような観点から判断することが大切なようです。
ここで抜き出したのは、ほんのさわりの部分だけです。
キリスト教の考え方に対して述べているので、キリスト教についても勉強になると思います。 是非読んでみてください。