自分が分かる本
『シルバーバーチの霊訓』
モーゼズの霊訓の所でも述べましたが、 これは英国の三大霊訓の一つといわれています。
この霊訓は、 1930年頃から1981年迄約50年間、 M.バーバネルという人を通して伝えられました。 この人は、 イギリスの二大心霊機関誌、 月刊Two Worl誌と週間Psychic News誌の主筆となって活躍した人です。
この三大霊訓は、 「モーゼズの霊訓」、「ベールの彼方の生活」、「シルバーバーチの霊訓」の順序ででています。
なぜ英国に続けて霊訓がでたのかも興味がありますね。
そしてそれぞれの霊訓に特徴がありますから、その特徴や霊訓の意図を比較してみるのもおもしろいかと思います。
前の2つは、自動書記で記録したのに対し、この霊訓は、霊媒が入神した状態で霊が話すいわゆる゙神懸かり゙状態で話したことを速記したものです。
☆シルバーバーチとは
「ロンドンの質素なアパートの一室でシルバーバーチと名乗る古代霊が、入神した霊媒の口を借りて現代に生きる人々のために人生訓を説き続けている。
本来の高い霊格を隠すために無名の北米インディアンの姿に身をやつし、大切なのは自分の語る中身であって自分の身元ではないことを強調するのである。シルバーバーチの使命は宇宙を支配する不変の理法についての知識をひろめることにある。それを流暢で美しい、しかも平易な言葉で解きあかす。」
自分の名前を簡単になのる霊、それも高級霊の名前を名乗る霊は大部分が低級霊であることが多いようです。
その点、シルバーバーチは自分の語る中身だけで、つまり形式でなく実質で判断するようにと言っています。
次の文にもあるように、抑圧されてきた人間の本来の姿が表現されるような時代になってきたこと、そして現在のスピリチュアリズムの流れがこの時点、約100年以上前から既に始まっていることを明示している。
現代は、個人の自由が保証され、自己表現に対する制約もほとんどない時代となり、逆にその分だけ強欲や利己心がはびこっているのも現実です。
さらに、ここで予言しているように、霊的啓示に関する本も玉石混交ながら様々な形で出ています。 本屋さんに行くとこの系統の本がずらりと並んでいますよね。
「人間はその本来の霊的属性を発揮しようとする行為が妨げられることはありません。妨げとなるのは自分自身の貪欲であり、強欲であり、利己心です。
それが霊の本来の権利であるところの自由を求めようとする怒濤のような魂のうねりを妨げるのです。が、今や霊力の莫大な威力の援助を得て、その霊的本性が地上界において発揮されつつあります。それは、物的分野、政治的分野、経済的分野といった、人間がとりわけ関心の強い分野でのみ発揮されつつあるのではありません。その霊力の奔流の影響を受けて、私どもスピリットの道具となる新しい人材が次々と輩出されることでしょう。
こうした人たちの手によって悲しみの底に沈んでいる人が慰められ、病人が癒されるだけでなく、いわゆる霊的啓示が大規模にもたらされることでしょう。スピリチュアリズムに関心を向ける人が増え、この訓えこそが悩みの時に導きを、困難にあっては慰めを、取り越し苦労と煩わしさの中にあっては安らぎと確信を与えてくれるものであることを知ることでしょう。」
「モーゼズの霊訓」の場合は、霊的教訓に徹していて、一般的な問題に対する質問は出てきません。 「ベールの彼方の生活」の場合も同様です。
シルバーバーチの場合は、ホームサークルの中での様々な参加者の個人的な質問に具体的に、分かりやすく答えていることが多い。 その一部を掲載します。
我々人間はいつでも人生の目的について悩みます。 自分は何のために生れてきたのか、何をすればいい人生を送れるのかと…。
その悩みや疑問に対してシルバーバーチは、次のように答えています。
この説明を受けて、私はその目的に添った地上生活をしているでしょうか、と考えてしまいます。
☆人生の目的
「人生の究極の目的は、地上も死後も、霊性を開発することにあります。 物質界に誕生するのもそのためです。 その目的に適った地上生活を送れば霊はしかるべき発達を遂げ、次の生活の場に正しく対応できる霊性を身につけた時点で死を迎えます。 そのように計画されているのです。 こちらへ来てからも同じ過程が続き、そのつど霊性が開発され、そのつど古い身体から脱皮して霊妙さを増し、内部に宿る霊の潜在的な完全さに近づいてまいります。 」
我々は神の子だと言われています。 そして神は完全です。 それなのに我々人間はどうして完全ではないのでしょうか。
☆進化について
「おっしゃる通り神は完全です。 ですがそれは神が完全な形で顕現しているという意味ではありません。 神そのものは完全です。 つまりあなたの内部に種子として存在する神は完全性を備えているということです。 ですが、それは必ずしも物質的形体を通して完全な形で表現されてはいません。 だからこそ無限の時間をかけて絶え間ない進化の過程をへなければならないのです。 進化とは、内部に存在する完全性という黄金の輝きを発揮させるために不純物という不完全性を除去し磨いていくことです。 」
神については、次のように言っています。
そして、我々がいわゆる人間と言っているものについても、肉体が人間なのではなく、霊が肉体を持ったときが人間なんだと…。
☆神と霊
「大霊とは全存在の究極の始源です。 万物の大原因であり、大建築家であり、王の中の王です。 霊とは生命であり、生命とは霊です。 霊として人間は始めも終わりもなく存在しています。 それが個体としての存在を得るのは、地上に限って言えば、母胎に宿っていた時です。 」
我々は肉体が人間だと思いがちですが、霊と肉体との関係についても次のように言っています。
☆霊と肉体
「霊も肉体も神の僕と申し上げましたが、両者について言えば霊が主人であり肉体はその主人に仕える僕です。 それを逆に考えることは大きな間違いです。 あなた方は本質的に霊なのです。 それが人間が潜在的に神性を宿していると言われるゆえんです。 つまり宇宙の大霊をミニチュアの形で宿していることになります。 宇宙という大生命体を機能させている偉大な創造原理があなた方一人ひとりにも宿っているのです。 意識を持った存在としての生を受けたということが、神的属性のすべてが内部に宿っていることを意味します。 全生命を創造し、宇宙のありとあらゆる活動を維持せしめている力があなた方にも宿っており、その無尽蔵の貯蔵庫から必要なものを引き出すことができるのです。 」
☆魂について
「魂とはすべての人間が身にまとっている神の衣です。魂とは神が子らに授けた光です。魂とは、各自がこの宇宙における機能を果たす事を可能ならしめる神の息吹です。魂とは生命力の火花です。存在の源泉です。それがあなたを宇宙の大霊と結びつけ、すべての生命現象を経綸する無限なる存在の一部足らしめております。魂はあなたが永遠にまとい続ける不滅の衣です。あなたがその魂であると言ってもよろしい。なんとなれば魂が即ちあなたという存在そのものであり、反省し、考え、決断し、塾考し、愛するのはその魂です。ありとあらゆる面を持っております。」
この説明でも魂と霊との関係がいまいち分からないのですが…。
夏になると怖い話のテレビ番組がもてはやされます。
そしてお化けや、霊が出るといわれる心霊スポットの紹介がされます。
番組によっては、科学のメスをいれると称して赤外線カメラや最先端の科学機器を使って調査が行われます。 場合によっては、霊能者が活躍したりして…。
この場合の幽霊とはいったい何でしょうか?
サークルの参加者である子供がシルバーバーチに質問しています。
☆幽霊と霊
「とてもいい質問ですよ。幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったためにいつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合のいずれかです。幽霊騒ぎの原因は大抵最初に述べた霊、つまり、地上世界から抜け出られない霊の仕業である場合が多いようです。死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望しか考えなかった生活がその霊を地上に縛りつけるのです。」
「求めよ、さらば与えられん。 」とうい有名な言葉があります。
そのように言われて、何でもかんでも求めるのが人間です。
しかも、自分だけの欲求に基づいて、お金がほしい、病気を治して下さい、有名大学に入れますようになどと祈ります。
ここでは、求めるものが正しいかではなく、動機が大切だと言っています。
しかし、このような祈りは無私の行為とは言い難いですね。 ということは、動機が真摯とはいえないので、たとえ実現しても本当の意味ではその人のためにならないようですね。
☆祈りに必要なもの
「求めるものが正しいか間違っているかは、単なる人間的用語の問題にすぎません。 私たちからみて大切なのば動機゙です。いかなる要求をするにせよ、いかなる祈りをするにせよ、私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。動機さえ真摯であれば、つまりその要求が人のために役立つことであり、理想に燃え、自分への利益を忘れた無私の行為であれば、決して無視されることはありません。それはすなわち、その人がそれまでに成就した霊格の表れですから、祈るという行為そのものがその祈りへの回答を生み出す原理を作用させております。 」
我々は何かの壁や困難にぶつかったとき、どのように対処するでしょうか。
恨んだり、怒ったり、泣いたりしませんか。 しかしそれでは問題の解決は出来ません。
それで他人に相談したり、自分で考えたり、自分の気持ちを整理するために色々模索します。
このようにして自分の気持ちを平静に見られるようになれば、解決できる心の状態になり、後はお任せの気持ちです。
そうなれば背後霊が何とかしてくれるようです。
そんな気持ちになれますか?
☆困難が生じたとき
「困難が生じたときは平静な受け身の心になるよう努力なさることです。 そうすればあなた自身の貯蔵庫から──まだ十分には開発されていなくても──必要な回答がわき出てきます。 きっと得られます。 われわれはみな進化の過程にある存在である以上、その時のあなたの発達程度いかんによっては、十分なものが得られないことがあります。 が、その場合もまた慌てずに援助を待つことです。 こんどは背後霊が何とかしてくれます。 」
いわゆる世間でいう善人は、霊的には必ずしも悟っているとは言えないようです。 僅かでも心配するということは、魂が本当の意味で確信を持つに至っていないといっています。 たしかに言われてみればそうですが、なかなか厳しいですね。
☆取り越し苦労について
「真理を悟った人間は決して取り越し苦労はしません。 なぜなら人生には神の計画が行きわたっていることを知っているからです。 まじめで、正直で、慈悲心に富み、とても無欲な人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます。 無用の心配をするということそのことが霊的成長の欠如の指標といえます。
たとえ僅かでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。 もし確信があれば心配の念は出てこないでしょう。 偉大なる魂は泰然自若の態度で人生に臨みます。 確信があるからです。 その確信は何ものによっても動揺することはありません。 このことだけは絶対に譲歩するわけにはいきません。 なぜなら、それが私たちの霊訓の土台であらねばならないからです。 」
☆宇宙の自然法則
「人間は宇宙の自然法則にしたがって生きている三位一体の存在です。 肉体は物的法則にしたがい、精神は精神的法則にしたがい、霊は霊的法則にしたがっており、この三者が互いに協調し合っております。 かくして法則の内側に法則があることになり、時には、見た目に矛盾しているかに思えても、その謎を解くカギさえ手に入れれば本質的には何の矛盾もないことが分かります。
法則のウラ側に法則があると同時に、一個の人間のさまざまな側面が交錯し融合しあって、常に精神的・霊的・物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれております。 そこには三者の明確な区別はなくなっております。 肉体は遺伝的な生理的法則にしたがっておりますし、精神は霊の表現ですが、肉体の脳と五官によって規制されております。 つまり霊の物質界での表現は、それを表現する物質によって制約を受けるということです。 かくしてそこに無数の変化と組み合わせが生じます。 霊は肉体に影響を及ぼし、肉体もまた霊に影響を及ぼすからです。 」
ここでいう三位一体の意味は、キリスト教でいうのとは大分違っています。
キリスト教では、父と子と聖霊を三位一体と言っています。
この辺の関係はあまり分かりませんが、シルバーバーチのいうように、霊・精神・肉体の関係が根元的な意味ではないかと思います。
つぎに、我々人間は法則に従って生きていると言われています。 しかし、どのような法則があって、どのように従っているかについてはなかなか分かりません。 さらにここにあるように肉体、精神、霊にそれぞれ法則があるとは…。 なるほどとしか言えません。
我々は病気になると、病院に行きます。 それは医者が病気を治してくれると思っているからです。
しかし、実際には医者には人の病気を治すことは出来ません。 出来るのは、その人が本来持っている自然治癒力を高めるための手助けが出来るだけです。
これに関しては、霊的治療者についても同じです。
シルバーバーチは、その人の魂に治る時期がこなければ治らないと言っています。 そしてその時期とは…。
それはその人の魂が治るだけの霊的資格を身につけた時だと言ってます。
☆病の治療に関して
「不治の病というものはありません。すべての病気にそれなりの治療法があります。宇宙は単純にして複雑です。深い奥行きがあるのです。法則の奥にまた法則があるのです。知識は新しい知識へ導き、その知識の奥に次の知識へと導きます。理解には際限がありません。叡知は無限です。
こう申し上げるのはいかなる質問にも、簡単な答えは出せないという事を知っていただきたいからです。すべての魂の本質、その構造、その進化、その宿命に関わる事だからです。」
別のところでは、次のように言っています。
「治療の成功不成功は魂の進化という要素によって支配されています。 それが決定的な要素となります。 いかなる魂も、治るだけの霊的資格が備わらない限り絶対に治らないと言うことです。 からだは魂の僕です。 主ではありません。 」
☆死について
「霊の世界への誕生である死は、その個性を持つ霊が巡礼の旅の第二段階を迎えるための門出です。 つまり、霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始源により一層近づくということです。
人間は霊である以上、潜在的には神と同じく完全です。 」
☆再生について
「再生というものが事実であることは私も認めます。 それに反論する人たちと議論するつもりはありません。 理屈ではなく、私は現実に再生してきた人物を大勢知っているのです。 どうしてもそうしなければならない目的があって生まれ変わるのです。 預けた質を取り戻しに行くのです。 ただし、再生するのは同じ個体の別の側面です。 同じ人物とは申しておりません。 一個の人間は氷山のようなものだと思ってください。 海面上に顔を出しているのは全体のほんの一部です。 大部分は海中にあります。 地上で意識的生活をおくっているのはその海面上の部分だけです。 死後再び生れてきた時は別の部分が海面上に顔を出します。 潜在的自我の別の側面です。 二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面ということです。 」
この再生問題については、「モーゼズの霊訓」も「ベールの彼方の生活」にも触れられていません。 しかし、シルバーバーチはここではっきりと再生について指摘しています。 「再生とは預けた質を取り戻しに行く」と。 面白い表現ですね。 一般的に言えば、「カルマの解消」とか言うんでしょうが。
「同じ魂が何度も生まれ変わる」とか「次に生れるときは動物かも」などということとは全然違います。 さらに次に生れてくるときもやはり人間であり、魂(潜在的自我)には、沢山の側面があってその一面だけが生れてくるとも言っています。