自分が分かる本
『ベールの彼方の生活』
この霊界通信は、G.V.オーウエンというイギリスの聖職者が1913年~1919年までの霊感書記により綴られた通信である。この本は、4冊に分かれている。
1巻目「天界の低地」は彼の母親とその友人たちからの通信から始まる。 その後は霊格が高いアストリエルという霊に変わり、2巻目「天界の高地」は彼の守護霊であるザブディエルという霊からの通信となる。
そして、第3巻「天界の政庁」、第4巻の「天界の大軍」はアーネルと名乗る霊とその霊団からのものである。
次に、オーウェンがこの自動書記についてまえがきで感想を書いているので引用する。
「さて、”聖職者というのは何でもすぐに信じてしまう”というのが世間一般の通念であるらしい。なるほど”信仰”というものを生命とする職業である以上、そういう観方をされてもあながち見当違いとも言えないかも知れない。が、私は声を大にして断言しておくが、新しい真理を目の前にした時の聖職者の懐疑的態度だけは、いかなる懐疑的人間にも決して引けをとらないと信じる。因みに私が本通信を”信ずるに足るもの”と認めるまでにちょうど1/4世紀を費やしている。すなわち、確かに霊界通信というものが実際にあることを認めるのに10年、そしてその霊界通信という事実が大自然の法に適っていることをはっきりと得心するのに15年かかった。」
このように、自分に起きた霊的現象について簡単には信じない態度は、同じ聖職者であるモーゼズについても共通している。
私の知っている霊能者でも、自分の見えるもの、聞こえるものが本当に高い階層からきたものであるかについて、常に疑問に思い、慎重に対処しようとしている人がいる。
このように霊的現象に対して慎重な人は信頼できると思う。
1.霊界の風景
「完成された地上、といった感じです。でも、もちろん四次元の要素が幾分ありますから、うまく説明できないところがあります。丘もあれば小川もあり、美しい森もあり、家々もあります。それに、私たちが地上から来た時のために前もって先輩たちがこしらえてくれているものもあります。今は代わって私たちが、今しばらく地上の生存競争の中に生き続けなければならない人々のために、環境をこしらえたり整えたりしてあげております。こちらへ来られた時には万事がうまく整っており、歓迎の準備もできているというわけです。」
ここで表現されているのは、オーウェンの母親が属している階層の風景です。この階層は、霊界の中ではまだまだ低い階層に属するようです。
このように低い階層では、基本的には我々が住んでいる地球と変わらないようです。
しかし、光の明るさ、風景の美しさ、色彩の鮮やかさなどはかなり違うようです。臨死体験をした人が「お花畑があってきれいだったよ」などと言ってますが、きっと彼らはこの世界の入り口に言っているのでしょうね。
しかし、階層が高くなれば、地上とは大分様子が違ってくるようです。
別のところでは第10界、11界の風景についても書かれています。
2.霊界の界層
「地球のまわりに幾つもの霊的界層があり、言わば同心円状に取り巻いております。下層界ほど地表近くにあり、距離が遠のくほど力と美が増して行きます。もっとも、その距離を霊界に当てはめる際は意味を拡大して理解していただかないといけません。吾々にとっては貴殿らのような形で距離が問題となることがないからです。
例えば私がそのうちの10番目の界にいる以上は、大なり小なりその界特有の境涯によって認識の範囲が制限されます。時おり許しを得てすぐ上の界、あるいはさらにその上まで訪れることは出来ますが、そこに永住することは許されません。一方、下の界に住むことは不可能ではありません。何となれば私が住む第十界も球体をしていますから、幾何学的に考えても、下の9つの界を全部包含していることになるからです。
従ってこれを判りやすく言いかえれば次のようになりましょう。すなわち地球は数多くの界の中心に位置し、必然的にその全ての界層に包まれている。故に地上の住民はその全ての界層と接触を取る可能性を有しており、現に霊的発達程度に応じて接触している───あくまで霊的発達程度です。なぜならその界層はすべて霊的であり物質的なものではないからです。」
別の所では、次のように言っています。
「界は7つあって7番目がキリスト界だと言う人がいます。それはそれで結構です。ザブディエル殿と私は第11界までの話をしました。これまでの吾々の区切り方でいけばキリスト界は7の倍に1を加えた数となるでしょう。つまりこういうことです。吾々の2つの界が7界説の一界に相当するわけです。7界説の人も第7界をキリストのいる界とせずに、キリストが支配する界層の最高界をキリスト界とすべきであると考えます。
吾々の数え方でいけば第14界つまり7の倍の界が吾々第11界の居住者にとって実感をもって感激できる最高の界です。その界より上の界がどうなっているかについての情報を理解することができないのです。そこで吾々は、キリストがその界における絶対的支配者である以上は、キリスト自身はそれよりもう一つ上の界の存在であらねばならないと考えるのです。その界のいずこにもキリストの存在しない場所は一かけらも無いのです。
ということは、もしもその界全体がキリストの霊の中に包まれているとするならば、キリストご自身はさらにその上にいらっしゃらねばならないことになります。それで7界の倍に1界を加えるわけです。以上がこれまでに吾々が入手した情報に基づいて推理しうる限界です。そこで吾々はこう申し上げます。数字で言えばキリスト界は第15界で、その中に下の14界のすべてが包含される、と。」
霊界の階層について、このように具体的に書かれている本はあまりないようです。本によっては、四次元から九次元までとか、七次元までとか書いてありまり、階層について様々な表現があることです。
このように見方によって、階層の区切り方が違うようです。
この本での表現である第10界に属する彼らにしても、その上の階層についてははっきりとは分からないようです。
まして地上の人間がすべて分かると言うことは考えられません。
3.善と悪
「‘ 悪’なるものは存在しないかの如く説く者がいるが、これは誤りである。もし悪が善の反対であるならば、善が実在するごとく悪もまた実在する。たとえば夜という状態は存在しない───それは光と昼の否定的側面にすぎない、という理屈が通るとすれば、悪なるものは存在しない───実在するのは善のみである、という理屈になるかも知れない。が、善も悪もともに唯一絶対の存在すなわち‘神’に対する各人の心の姿勢を言うのであり、その一つ一つの態度がそれに相応しい結果を生むに至る必須条件となる。ならば当然、神に対する反逆的態度はその反逆者への苦難と災害の原因となる。
神の愛は強烈であるが故に、それに逆らう者には苦痛として響く。流れが急なれば急なるほど、その流れに逆らう岩のまわりの波は荒立つのと同じ道理である。火力が強烈であればあるほど、それに注ぎ込まれる燃料と供給される材料の燃焼は完全である。神の愛をこうした用語で表現することに恐怖を感ずる者がいるかも知れないが、父なる神の創造の大業を根源において支えるものはその‘愛’の力であり、それに逆らう者、それと調和せぬ者には苦痛をもたらす。」
宗教団体によっては、人間は本来神の子であるからすべて光であり、闇いわゆる悪はないというところもある。しかし、ここではそのような考えは誤りであるという。
それは悪が存在するから反対の性質である善も存在するからである。
我々が通常使うときの悪は、自分にとって都合の悪いもの、病気や災難などを指すことが多いが、ここでいう悪とは‘神’に対する各人の心の姿勢を言っているのであり、神の愛に逆らうものを悪という。
そして、神の愛に逆らうが故に、その結果として反逆者は苦難と災害を自分に引き寄せることになる。これがカルマとなるのだろう。
4.霊格
この文の前提として、自分より先に無くなった奥さんが自分の周りに見あたらないことに対して不信感を抱いている人に対しての説明です。
「まず第一に反省しなくてはいけないのは、あなたの考えることが必ずしも正しくないということです。ちなみに一つ二つあなたの誤った考えを指摘してみましょう。一つは、あなたはこの世界を善人だけの世界か、さもなくば悪人だけの世界と考えたがりますが、それは間違いです。地上と似たり寄ったりで、善性もあれば邪悪性も秘めているものです。それからもう一つ。数年前に他界された奥さんは、あなたがこれから事情を正しく理解した暁に落着かれる界よりも、もっと高い界におられます。地上時代は知的にはあなたに敵いませんでしたし、今でも敵わないでしょう。ところが総合的に評価すると霊格はあなたの方が低いのです。これがあなたが認めなくてはならない第二の点です。心底から認めなくてはダメです。あなたのお顔を拝見していると、まだ認めてないようですね。でも、まずそれを認めないと向上は望めません。認められるようになったら、その時はたぶん奥さんと連絡が取れるようになるでしょう。今のところまだそれは不可能です。」
地上においては、人間の評価は知的レベルや外側に出ているもので評価することが多いが、あちらの世界では、それだけで決まるのではなくその人の内面を中心とした総合評価で霊格が決まる。
彼の場合は、善悪をはっきりさせたがる傾向が強いので、他人のよい点も悪い点も認めるというようなことができない、つまり心が狭いのかもしれません。そしてこのようにお互いに霊格が異なると、住んでいる階層が違うので会うことも出来ません。
5.祈り
「祈りとは成就したいと思うことを要求するだけのものではない。それより遥かに多くの要素をもつものです。であるからには、これまでよりも慎重に考察されて然るべきものです。祈りに実効を持たせるためには、その場かぎりの目先の事柄を避け、永遠不易のものに精神を集中しなくてはならない。そうすれば祈りの中に盛り込みたいと思っていた有象無象の頼みごとの大部分が視界から消え、より重大で幅広い問題が想像力の対象として浮かび上がって来る。祈りにも現実的創造性があります。例えば数匹の魚を五千人分に増やしたというイエスの奇跡(ヨハネ6)に見られるように、祈りは意念の操作による創造的行為である。その信念のもとに祈りを捧げれば、その祈りの対象が意念的に創造され、その結果として‘祈りが叶えられる’ことになる。つまり主観的な願いに対し、現実的創造作業による客観的回答が与えられるのです。」
我々が祈る場合は、自分だけの利益のためであったり、目先の利益を要求することが多い。
しかし、ここでは「その場限りの目先の事柄をさけ、永遠不易のものに精神を集中すること」と言っている。
さらに、祈りには現実的創造性があるので‘祈りが叶えられる’つまり客観的回答が与えられるという。
祈りについては、シルバーバーチも以下のように言っている。
「求めるものが正しいか間違っているかではなく、大切なのば動機゙です。 いかなる要求をするにせよ、いかなる祈りをするにせよ、私たちが第一に考慮するのはその動機なのです。 その要求が人のために役立つことであり、理想に燃え、自分への利益を忘れた無私の行為であれば、決して無視されることはありません。 」
我々はどのような祈りをしているでしょうか!
6.死後の反応
「ではこれから、地上の人間がこちらへ来た時に見せる反応をいろいろ紹介してみましょう。もちろん霊的発達段階が一様ではありませんから、こちらの対応の仕方もさまざまです。ご存知の通りその多くは当分の間自分がいわゆる死んだ人間であることに気づきません。その理由は、ちゃんと身体をもって生きているからであり、それに、死および死後について抱いていた先入観が決して容易に棄てられるものではないからです。
そうした人たちに対して最初にしてあげることは、ですから、ここがもう地上ではないのだということを自覚させることで、そのために又いろいろな手段を講じます。」
一般的に死後の生活について知識を持っている人は少ない。
だから死に関する話は嫌がるし、そんな話をしようものなら不謹慎だといって注意される。それが現状であるから実際に死んだ時に、自分が死んだことに気づかない人が多いのも当然かもしれない。
だから死後の生活についての知識がこれからさらに必要になるのである。
7.再生
「再生という用語は前生と同じ性質の身体にもう一度宿るということを意味するものと思われます。もしそうだとすれば、そして貴殿もそう了解してくださるならば、地球以外の天体上の身体や物質に順応させていく操作を‘再生’と呼ぶのは適切ではありません。というのは、身体を構成する物質が地上の人間のそれと非常に似通った天体もあるにはありますが、まったく同じ素材でできている天体は二つとなく、まったく異なるものもあります。
それ故、貴殿が今お考えになっているような操作を再生と呼ぶのは適切でないばかりか、よしんば惑星間宇宙を支配する法則とまっ向から対立するものではないにしても、物的界層の進化の促進のためにこの種の問題を担当している神霊から見れば、そう一概に片づけられる性質のものでないとして否定されることでしょう。」
地球上の生まれ変わりについて直接は触れていないが、この表現からすると地球上の身体に生まれ変わること、再生があることも少し認めているようです。しかしここでは、地球以外の天体上の身体に宿ることがあることを示唆しているし、それを再生とは言わないと言っている。
それからこの表現からすると、我々も地球に以外の天体で生きていたことがあるかもしれないということになります。
8.下界と地縛霊
「人類の救世主、神の子イエス・キリストが‘天へ召される者は下界からも選ばれる’と述べていることについて考察してみたい。下界に見出されるのみならず、その場において天に召されるという。その‘下界から選ばれるもの’はいずこに住む者を言うのであろうか。これにはまず、イエスが‘下界’という用語をいかなる意味で用いているかを理解しなければならない。この場合の下界とはベールの彼方においてとくに物質が圧倒的影響力をもつ界層のことを指し、その感覚に浸る者は、それとは対照的世界すなわち、物質は単に霊が身にまとい使用する表現形体に過ぎぬことを悟る者が住む世界とは、霊的にも身体的にも全く別の世界に生活している。
それ故、下界の者と言う時、それは霊的な意味において地上に近き界層にいる者を指す。時に地縛霊と呼ぶこともある。肉体に宿る者であろうと、すでに肉体を棄てた者であろうと、同じことである。身は霊界にあっても魂は地球に鎖でつながれ、光明の世界へ向上して行くことが出来ず、地球の表面の薄暗き界層にたむろする者同士の間でしか意志の疎通が出来ない。完全に地球の囚われの身であり、彼らは事実上地上的環境の中に存在している。」
いわゆる地縛霊とは、地上に近い階層にいる。この階層は、霊界において物質の影響が強い階層である。この場合、肉体を宿っていても肉体を捨てていても同じであり身体は霊界にあっても魂は地球に鎖でつながれている。それ故自縛霊と呼ぶ。彼らは、いわゆる死亡し、肉体を持っていないにも関わらず事実上地球的環境の中に存在していて、地上にいる我々に影響を与えている。
しかも彼らは、同じ仲間同士でしか意志の疎通が出来ない。
9.暗黒界の天使
「善なるものがすべて神のものであることは言うまでもありませんが、われわれ神の子にとっては光明も暗黒も絶対ではなく、また絶対では有り得ないということです。両者は相対的に理解しなくてはいけません。今にして判ったことは、‘暗黒界の天使’が大勢いるということです。その人たちは魂の本性に何か歪んだもの、善なるものへの志向を妨げる強情なところがあるために、今のところは暗黒界にいる。が、そのうちいつか、長い長い生命の旅路において、もしかしたら今のところ彼らより祝福されている私たちを追い越し、神の王国において高い地位を占めることになるかも知れないのです。」
いわゆる地獄(暗黒界)にいる人は、本来的な悪人であり、何時までもそこにいるのかと言うと、そうではなく今現在は魂に歪んだもの等を持っている、つまり神に対する反逆的な態度を持っているので、現在の状態にあると言うことです。彼らがその心の姿勢を変えたときには、かえってその地獄での経験がプラスになり、すばらしく霊格が高くなるかもしれない可能性があるということです。
このような抜粋だけでは霊界の様子は分かりません。
興味ある人はこの本を読んでみてください。