自分が分かる本
『神との対話』
この本は、次の言葉で始まる。
「これからあなたは、とてつもない経験をする。神との対話が始まるからだ。そう、そのとおり、分かっている──そんなことは不可能だ。あなたはきっと不可能だと考えている(あるいはそう教えられている)。神に語りかける事はできても、神と対話する事はできない。神は答えてくれない。少なくとも、神と友達のような会話ができるはずはない、と。
私もそう思っていた。ところが、この本という出来事が起こった。文字通り起こったのだ。これは私が書いたというより、私の身に起こった本だ。そして、お読みになれば、きっとあなたの身にも起こるだろう。
誰でも準備が出来た時、真実へと導かれるからだ。」
一般的に神あるいは霊との通信は、自動書記や霊媒の口を通して行われる場合が多い。この本の場合は、ある意味での自動書記、「ベールの彼方の生活」にあるように霊感書記で書かれたのかもしれない。
人間は誰でも、自分の中に神(内なる神)があり、その神とは誰でもがコミュニケートできると言われている。
しかし、実際にコミュニケートできる人は少ない。
(神とのコミュニケーション)
「私はすべての者に、つねに語りかけている。問題は、誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするか、ではないか?
第一に、「語る」ではなく「コミュニケートする」と言うことにしよう。
神とのコミュニケーションは、言葉よりもすぐれた、言葉よりずっと豊かで正確なものだからだ。言葉で語り合おうとすると、とたんに言葉の持つ制約に縛られる事になる。だからこそ私は言葉以外でも、コミュニケートする。それどころか、言葉はめったに使わない。一番多いのは、感情を通じたコミュニケーションだ。
感情は、魂の言語だ。
何かについて、自分にとっての真実を知りたいと思った時には、自分がどう感じるかを探ってみればいい。
感情というものは、なかなか見つからない。自覚するのはさらにむずかしい。だが、最も深い感情の中に、最も高い真実が隠されている。要はこの感情をつかむことだ。どうすればいいか教えてあげよう。もちろん、あなたが知りたければ、ね。」
言葉はコミュニケーションの手段としては、非常に不正確だと言われます。
我々は日常生活において、このことをよく経験します。
一生懸命伝えようとしているのに、なかなか本心が伝わらない。
話せば話すほど、誤解される。
自分がイメージしていることと口から出てくる言葉がピッタリこない。
そんなことがよくあります。
ここに書いてあるように自分の真意、感情を正確に伝えるというのはさらに難しい。 時々、テレパシーが使えればいいのにと思ってしまいます。
ここで言っている深い感情を伝える方法としてテレパシーがあるのかも…。
つぎに、我々が一般的に感情と言っているのは、怒りや憎しみなどのマイナスの感情を意味することが多いのですが、ここでの意味は自分の深いところの本当の感情、愛とか信頼とかをベースにした感情に気づくことが大事と言っているようです。
(神からのメッセージ)
「神からのメッセージと、そうでないものとを見分ける事はなかなか難しい。この2つの違いはわかりにくい。区別するには、基本的なルールを素直に当てはめなければならない。
私のメッセージはつねに、あなたの最高の考え、最もくもりのない言葉、最も偉大な感情である。それ以外は別の源から生じている。そう考えれば、簡単に区別できるだろう。どんなに未熟でも、いちばん気高くくもりがなく、偉大なものはすぐにわかるからだ。
だが、念のためにもうひとつの指針を与えよう。
最高の考えには、必ず喜びがある。
くもりのない言葉には真実が含まれている。
最も偉大な感情、それは愛である。
喜び、真実、愛。」
世の中には、神または霊と交信できるという人がいるが、大多数は低級霊とのものが多いといわれている。
私が信頼できる人が言うには、大きな声でしゃべったり、偉そうに言うのは低級霊であり、高級霊の場合は、耳の奥でかすかに聞こえるか、雰囲気として感じる程度でしかないと。
そして、その語る内容でも判断することが重要であるという。
ここでは、自分で判断するときの基準について語っている。
(正しい祈り)
「正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく感謝である。現実に体験したいと考える事を前もって神に感謝するというのは、願いはかなうと認める事だ───。
感謝とは神を信頼する事だ。求めるより前に神が応えてくれると認めることだから。決して求めたりすがったりせず、感謝しなさい。」
祈りといえば、困ったときに自分の都合のいいこと、病気を治してください、いい学校に合格させてください、お金が儲かりますようになどの現世利益を求めるのが一般的です。
しかし、このような困ったときの神頼みでは、たとえ実現しても自分の人生にとって何のプラスにもなりません。
(人間の動機)
「深く探ってみれば、人間の行動には2つの動機しかない。不安か、愛か。
じつは、感情の源もこの2つだけだ。
魂の言語にはこの2つの言葉しかない。この2つは私が宇宙を創造し、あなたがたが住む世界を創造した時に生み出された2つの極なのだ。これらが「相対性」というシステムを可能にする2点、アルファでありオメガだ。この2点、物事に対するこの2つの思考がなければ、ほかの思考は存在し得ない。
人の思考も行動もすべて、愛か不安か、どちらかを根拠としている。(省略)
不安はちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーである。
愛は広がり、開放し、送り出し、とどまり、明るみに出し、分け合い、癒すエネルギーである。」
非常にシンプルでいいですね。
でも現実の生活では……。
このように本質的にはプラスかマイナスしかなく、あとはそれぞれの面が変化したものであると。
現象だけみているとそうは見えないですけれど。
(生命の目的)
「あらゆる生命の目的はひとつしかない。 あなた方そして生きとし生けるものすべての目的は、出来る限りの栄光を体験する、ということだ。
話したり、考えたり、行動したりするのもみな、この目的のためだ。 」
(人生の目的)
「人生の目的は神を喜ばすことではない。
人生の目的は、自分とは何者であるかを知ること、自分を再創造すること。 」
(死について)
「死は終わりではなく、始まりだ。 恐怖ではなく喜びだ。 閉鎖ではなく、解放だ。 人生で最も幸せな瞬間とは、それが終わる瞬間だ。
なぜかと言えば、それは終わりではなく、形容しがたく理解不能でありながらもっとすばらしい、平安と智恵と喜びに満ちた前進だからだ。 」
我々は、「死」に対して恐怖し、死ぬことを忌み嫌う。
そして、「死」から逃れるために様々な努力をする。
しかし、ここでは「死」は平安と智恵と喜びに満ちた前進であるという。
他の霊界通信でも、我々が三次元に生を受けるということは、肉体という物質の中で制限されながら生きる必要があるからそうしているのであり、それが必要なくなったときに肉体から解放される。
それを「死」と読んでいるのであり、魂にとっては喜ぶべきことであると述べている。
(輪廻転生について)
「あなたは聖なる存在で、同じ「時」に複数の経験をすることができる。 自己というものを、自分が選んだだけの数の「自己」に分割することができる。
あなたは、「同じ生」を何度も繰り返して、べつのやり方で生きることができる。 それは、今説明したとおりだ。 それに、時空の中で異なる「時」に、異なる「生」を生きることができる。 だから、いま、ここにいるあなたでありながら、ほかの「時」、ほかの「場」で、ほかの「自己」になることができるし、実際にそうしてきたんだよ。 」
この部分は、いわゆる輪廻転生について説明していると思うけど、このような説明の仕方は、ほかの本ではあまり出てこないですね。
(キリスト経験)
「分裂、分離、優越の意識──「われわれ対彼ら」「こちら対あちら」──がヒトラー経験を創り出す。
聖なる友愛、統一、一体感、「あなたのもの対わたしのもの」ではなくて「わたしたちのもの」という意識が、キリスト経験を創り出す。
「あなたの」苦痛ではなく、「わたしたちの」苦痛なら、「わたしの」喜びでなく、「わたしたちの」喜びなら、人生経験のすべてがわたしたちのものなら、そのときこそ、完璧な命の経験になる。 」
(善と悪)
「冷たさが分からなければ、熱さも分からない。 下降がなければ上昇もない。 左がなければ右もない。
一方を非難し、一方をほめるのはやめなさい。 それでは真実を理解できない。 何世紀も、人々はアダムとイブを非難してきた。 彼らは原罪を犯したのだと言われてきた。 だが、いいかね。 あれは最初の祝福だった。あの出来事がなくて、善悪の区別がつかなければ、あなたがたは善と悪の可能性が存在することすら知らなかっただろう!じっさい、アダムの堕落と言われる出来事がなければ善悪二つの可能性も存在しなかった。 「悪」はなく、誰もが、何もかもが、つねに完璧な状態で存在していた。 文字通りパラダイス、天国だ。 だが、それがパラダイスであることもわからなかっただろう──完璧さとして経験することも出来なかった。 他のことを何も知らなかったからだ。
アダムとイブを非難すべきか、それとも感謝すべきか?」
善と悪とは対立した概念として扱われる。
そして、善と悪とが戦い、どちらが勝つかなどと言われる。
しかし、ここでは善(プラス)と悪(マイナス)とは戦うのではなく、人間が本質的に持っているものであり、自分の内面にあるその善悪の両面に気づくことにより、善性をさらに開発することが出来、成長につなげることが出来るのである。
(神の子)
「神は宇宙を分割することによって、見えるもの、見えないものを含めて現在存在するすべてのものを、純粋なエネルギーから創り出した。
「わたしであり/わたしでない」という等式の、わたしでない部分はさらに爆発して無数の小さい部分になった。
このエネルギーの一つ一つが、あなた方が「霊(イノチ)」と呼ぶものである。
私という全体をかたちづくっている無数の霊は、宇宙的な意味でわたしの子供だからである。 」
キリスト教では、イエスのみが神の子である。 しかし、ここではすべての存在が、神の一部であると言っている。
以上、神との対話から一部抜粋し、わたしなりの説明を加えました。