第1章 さらなる自力のために

3.幸せと浄化

次に幸せについて考えてみましょう。

(1)宝くじの話

宝くじが当たったとします。
これって幸せですか、それとも不幸ですか?

例えば「宝くじに当たった」としたら、きっといいことだと思いますよね。
宝くじに当たるとどういう現象が起こりますか?
自分の反応は?
周りの人の反応は?
まずは、周りの人の反応から考えてみましょう。

あなたが宝くじに当たって沢山お金をもっていると知ると大勢の人がタカリにきます。
今まであまり仲が良くなかった友人とか、親戚とか……。
彼らが考えるのはどうせ泡銭だからたかってやろう。もらえたらラッキーと!
その時、あなたはどういう反応をしますか?

自分のお金だから必死に守り抜こうとするか、泡銭だから今がよければいいと使ってしまおうとするか、不動産を買って安心しようとするか、色々あると思います。
いずれにしても、お金の使い方にしても、時間の使い方にしても、今までと生活のリズムが変わってしまう可能性が高いことは確かですよね。

もしもその条件の中で今までの生活のリズムが保てたら凄い人ですよね。
人間は一度リズムが狂うと、自分のペースに戻すのが大変なのです。
もしもそれと同等のお金が毎月安定的に入るってくる保証があればいいのですが、それは自分の実力で稼いだものではないから、その後入ってくる保証はないですね。

一度贅沢に慣れると、もとの生活には戻れないのです。
本当の意味で考えると、都合がよかったのかな?
疑問ですね。
この場合は極端な例かもしれませんがこのようなことって沢山ありますよね。

そのことが起こった時は凄く喜んでいたけど、後になってみると文句の対象となっているようなことが。
就職がきまった。良かった。
恋人ができた、結婚した、子供ができた……などなど。

後で聞いてみると「こんなはずではなかった!」と言い、文句たらたら…。
その意味では、本当に良かったと一生言えるようなことってあるのかな?
ないような気がするのですが…!
このような前提で考えてみると、よく「いいこと」「悪いこと」って言うけれど、それはいったい何なのでしょうね。

(2)幸せの価値観

世の中には、幸せな人と不幸な人がいるように見えます。
この違いは何なのでしょうか?
さらに、一見幸せそうに見える人が、本人はすごく不幸だと思っていたり、見た目は不幸せそうな人が本人は幸せを感じていたりと。

世間で言う幸せとは、お金があったり、地位が高かったり、美貌の持ち主だったり、外見的なこと、物質的なことが基準になっています。
これは現世のなかで物質的観点からの判断にしか過ぎません。

しかしこの基準では、本当の意味での幸せ、精神的な満足は得られません。
人間がこの世に生まれてきたのは、魂の浄化、向上が目的であり、さまざまな学びをするためです。
だから限られた時間の中で、浄化向上するためにはいわゆる試練があって当然なのです。
その試練のことを、世間では不幸ととるのです。

この世で魂をより輝かせるにはどうすればいいのでしょうか?
試練、経験は学びです。
自分がやりたいだけ、やりたいようにやれば良いのです。
失敗しようと、成功しようと…、それはあまり大事なのではないのです。

それよりもその経験から何に感動したか、 魂が何を感じたか、そのことが最も重要なのです。
恐れて生きるよりも、とことんやりたいようにやればいい。
そのことがその人の幸せに繋がるのです。

(3)人間の幸せ

第1節の第4章で「神は法則」であると書きました。
人間が神の法則を知り、その法則に自分が合わせれば、もっとスムーズに成長でき、幸せになれるのです。
しかし、人間には自由意志(我欲?)があり、神の法則に合わせようとしません。
だから色々な困難が起きるのです。
それも神の試練と言えばそうですが……。

つぎに人間は困難や試練がくれば、神に祈ります。
それも自分に都合のいい、特別の慈悲だけを祈り、願うことが行われます。
しかし、そのような祈り、願いには神は答えてくれません。
当然です。

神は個人的な願いには応えてくれないのが法則だからです。
人々は自分の願いを叶えてくれない神に対する不満を持ちます。
しかし、 神に自分だけに都合のいい特別な配慮を求めて奇跡を願ったりすることは無駄であり自分の成長にとってマイナスになるだけです。

神の法則に合うような考え方、生活をすれば、幸せな人生が送れ、当然お任せの世界で生きることになります。

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